ああ、

まず最初に指摘しておきたいのは、「論考」のスタイルは通常の哲学書とはかなり違うということです。あれは七つ(だったと思いますが)の命題と、その根拠となるいくつかの予備命題からなる、きわめて変わったスタイルの著作です。ああいう哲学書は、ほかにほとんどありません。哲学書の書き方に法則はありません。あるとすれば、正確な論理に従い、適切な根拠を書き論証すること、という学術書一般の制約くらいです。ウィトゲンシュタインスピノザのスタイルには面食らうかと思いますが、他の哲学書は上のような、ふつうの学術書のスタイルで書かれています(ニーチェデリダなども別の例外です)。命題に関してですが、命題は真か偽かを取るものであって、真か偽か不確定なものではありません。現在ではさまざまな意見がありますが、少なくともウィトゲンシュタインのころの命題観では、命題は原理的に真であるか偽であるか決まっているものとみられていました(人間にわからないとしても)。ですから、真か偽か? という性質ではなく、真だ! という性質か偽だ! という性質のいずれかを持つものと考えたらいいでしょう。そして、ウィトゲンシュタインもそうですが、通常学術書を書くときには真である命題を表現していると思われる文を連ねるものです。そしてそれらが実際に真なる命題を表現しているなら、結果的に真なる結論が得られるでしょう(もちろん、いまだかつてすべてが真なる内容で構成されている学術書は基本的にないでしょうが)。記号論理学に関しては、学ぶしかありません。ウィトゲンシュタインも、彼以前のラッセルも、後のクワインなども、それがオリジナルな概念なのでない限り、基本的にわざわざ記号について説明はしません。別だてで論理学の教科書を読み、勉強するしかないです。ウィトゲンシュタインなら、いわゆる古典論理と呼ばれている基本的な一階述語論理を理解していればだいたい内容はわかるはずなので、それを目標に勉強したらいいかと思います。